鍋倉山の生い立ちから現在までの歴史
地形
鍋倉山はトロイデ型の火山で、約200万年前以降に、断層の切れ目
から噴火が起こり、鍋倉山が形成、2~3回にわたる泥流、溶岩流が
流出し、階段状台地が形成されたようです。
温井集落から鍋倉山に向かい1段目が田茂木平、2段目がどうまん
平(堂満平)です。
田茂木平には、温水溜池の田茂木池、どうまん平には、ムジナ池
があります。

ブナの森
鍋倉山のブナ林の歴史は、約1万年前から。
それ以前の氷河時代には、現在よりも8℃以上気温が低く、ブナ
ではなく、常緑の針葉樹林が中心をしめていました。
縄文時代から100年前までは、鍋倉山周辺はブナの原生林が占めて
いたが、現在、田茂木平、堂満平の2つの台地にブナがみられず低木
の二次林(ヤブ山)となっているのは、昭和10年代後半から40年代
にかけてのブナに対する知識不足から、船舶用材や薪炭用材、パルプ用材として乱伐されたためです。

鍋倉山周辺の沿革
1972年・・・
民間企業が鍋倉山麓のスキー場開発の意思を明らかにし調査開始
1977年・・・
石油ショックを契機とした景気回復の遅れを理由に撤退
1986年9月・・・
鍋倉山国有林伐採計画が飯山営林署から発表される。
その後・・・
大きな反対運動が起きて中止になる。
1988年~・・・
関田山麓リゾート開発協議会が発足し、開発に向け動き出す。
1992年12月
バブル経済破綻から、小山市長「鍋倉山開発断念」を決断。
1983年~1995年・・・
国営農地開発事業 12年で260ヘクタールの農地造成
1997年7月・・・
『なべくら高原 森の家』設立
2000年3月・・・
『いいやまブナの森倶楽部』設立
2003年9月・・・
『信越トレイルクラブ』設立
2004年・・・
「森太郎」が『森の巨人たち百選』に選ばれる。
1999年春 「こぶブナ」倒木
2011年7月 「森姫」枯死
2022年5月 「森太郎」倒木
